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謹告(お詫び)

最近の一週間余り、このブログを更新していなかった。
「何かトラブルがあり、深刻な状況になっているのでは?」とご心配の向きがあるやもしれない。
そこで、近況をお知らせしておきたい。

旅行自体はほぼ順調に進んでいる。
ただ、5年振りの旅行ということで、旅行の勘がなかなか取り戻せない。
さらに、交通網が複雑化・多様化していて、それを理解するのが大変なことである。
それに、流通シスタム全般がディジタル化され、それにも対応する必要がある。

このような状況では旅行をすることが精一杯で、軽妙な(?)文章を書く余力が無くなってしまった。
日本を出るときは、旅行中にせっせとブログを更新するつもりでいたが、それはもうできない。
このブログを読んで下さっている方々には申し訳ないが、続きは日本に帰ってから書くので、時々見に来て頂きたい。

7月5日 イタリア コルティナ・ダンペッツォにて

2017年07月05日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

ブリュッセルにて

ブリュッセルの市内観光は「グラン・プラス」へ行った。ホテルのすぐ傍にあるからだ。
ここへは45年前に訪れている。
110m✕70mの大広場で、回りにはびっしりと石造りの建物が建っている。
ここの建物にはふんだんに金の装飾が施されている。
ベルギーが金やダイアモンドを取扱って富を築いてきた象徴であろう。

もう一つの観光目玉に「小便小僧」がある。しかし、ここへは行かなかった。
以前に見ているし、あまり評判が良くないからである。

世の中に「世界がっかり観光地」というものがある。
行ってみたら、評判ほど内容が良くなかったというものである。
小便小僧はその一つで、身長は1m程度しかなく、かなり貧相なのである。
他の「がっかり」はデンマーク・コペンハーゲンの「人魚姫」。
大きさは人間とほぼ同じで、迫力に欠ける。
おまけに、鱗部分は足先に少しあるだけで,下半身全体が魚体というイメージとは全く離れているのである。
このような評判倒れに会わぬよう、日頃から情報を集めておくことが肝要である。

地方都市巡りの最初は「ブルージュ」の町。
ブリュッセルから東へ電車で1時間、運河の美しい街だ。
12、13世紀頃は北海に通じる貿易の要所として栄えたが、その後海が浅くなって貿易機能が失われた。
街は衰退し、だからこそ当時の姿を今に残している。
街を歩くと、細く曲がりくねった道の両側に、カラフルなモザイクの壁をもつ可愛い家が建ち並ぶ。
小さな運河には,しだれ柳が水面(みずも)に影を落とし、悠久の年を刻んでいる。
やや大きめの運河には多数の趣向を凝らした橋がかかっている。
その数は50以上といわれ、どこをとっても絵になる風景である。
ブルージュとは「橋」(英語のブリッジ)の意である。
街の中心はマルクト広場。
州庁舎や礼拝堂などがあるが、とりわけ目に付くのは83mの高さの鐘楼。
このような建物が15世紀に建てられていたとは少し驚きである。


地方都市巡りとして、アントワープにも出掛けた。
ブリュッセルから北へ電車で40分。
降り立った中央駅は、大ドームに覆われた豪華な駅。
駅を出て中心街に向かって歩く。
少し曲がった大きな道が次々に現れるので、帰りに迷わぬよう記憶しながら歩く。
旧都市部の中心地グローテマルクトにつく。
ここには、市庁舎・ノートルダム大聖堂・民族博物館などがある。
どれも大きくて立派だと、感心しながら見上げる。
特に、大聖堂の大時計は金ビカ。余程金が好きなお国柄のようだ。
ところで、この近くに「ネロとパトラッシュの記念坂」があるとガイドブックに書いてある。
探したが、そのような標識は見付からなかった。
それはともかく、「フランダースの犬」が地元で知られるようになったのは、日本人のお陰なのである。
ベルギー人には結末が悲しすぎてこの物語を受け入れ難かった。
しかし、日本人は微に入り、細に入り素性や関連する場所を探り当てた。
そうこうしている内に、ベルギー人にも知名度が高まっていったのである。

2017年06月28日 フランス トラックバック:0 コメント:0

パリからブリュッセルへ

早や2日間のパリ滞在を終えて、ベルギーの首都ブリュッセルに移動することになった。
この移動にはタリス(Thalys)という列車にのった。
フランスの高速列車(TGV)より後に開発され、より高速化されたものだ。
先頭部分はフランスの航空機コンコルドのように尖っている。
ボディの色は濃いワインレッドで、見るからに速く走りそうである。
乗り心地は、揺れが少なく快適だった。

この列車の特徴は、食事時に飛行機の機内食のようなものが振る舞われることだ。
この種のサービスは目新しいことではなく、12年前にスペインのアベ(AVE)という高速列車に乗ったときに経験している。
その時は初めての見聞だったので、ずいぶん斬新に感じたが、もう一般的になったようだ。

ところで、このサービスは私にとって有り難いのかどうか?
例えばビジネスマンなら、移動と食事が同時にできて,時間の節約になるであろう。
しかし、私のような観光客は、車窓の景色を眺めていたい。
しかし、珍しくて美味しそうな食事が出てくると、ついそれに目を奪われてしまう。
車窓の景色か?、食事か?
そのジレンマに悩みながら、両方を楽しめるよう必死になるのである。

2017年06月26日 フランス トラックバック:0 コメント:0

パリは酷暑

パリは猛烈に暑い。風がソヨとも吹かないので、まさに蒸し風呂状態である。
飛行機内のアナウンスでパリの気温は35度だと伝えていたが、街中に出て実感した。
次の日は,天気が良ければ、貸し自転車でパリ市内を走り巡ろうと考えていた。
しかし、この暑さでそんなことをしたら、熱中症で倒れるのがオチだと思い諦めた。
それならどうする?
街中をウロウロしていても暑いだけだから、いっそ電車に乗れば,乗っている間だけは涼しく過ごせるはずである。
このような考えができるのは、「連続使用のユーレイルグローバルパス」を持っている強みである。
殆どいつでも、どこででも、国鉄電車に乗り放題なのである。

さて、実行に移す。
ホテル近くのパリ東駅から電車に乗ることにする。
このような場合、私は最も早く発車する列車に乗ることにしている。
今回の場合は、フランス東部のルクセンブルク公国行きの電車だった。
TGV(高速列車)なので特別料金を払わされたが、避暑代金と考えれば安いものである。
車窓の風景を楽しみ、途中のメス(Metz)という街で降り、駅近辺をうろついた。
帰りは音楽を聴いている内に眠くなり、約1時間熟睡した。

かくして、パリに宿泊しながらパリ市内の観光は殆どできなかった。
しかし、それでいいのである。
既に10回パリに来ているのだから。

2017年06月24日 フランス トラックバック:0 コメント:0

5年ぶりの出立

5年ぶりにヨーロッパ旅行へ出かけるとなれば、喜びもあるが,一方では一抹の不安もある。
そんな気持ちで、関空からパリ行きのエールフランス航空機に乗った。
機内は比較的空いていて、三人掛けのシートに二人が腰掛けていた。
私の一つ向こうの席には、若い日本人女性が座っていた。
図々しくも声を掛けると、気さくに応じてもらえ、色々な話をした。
先ず、年齢は私よりぴったり50歳下ということである。
半世紀の世代の違いがある人と親しく話せるのは、機中ならでのことであろう。
それに、話の内容が私の関心事とぴったりであった。
彼女は英語とスペイン語を話し、今はドイツに住んでいて、ドイツ語を勉強中という。
私も多国語の習得に関心があるので、興味深く話を聞いた。
また、日本の歌手について論じ、特に「中島みゆき」の素晴らしさを認識し合った。
さらに、古い映画が好きだと言うことで、ジャン・ギャバンの「望郷」、シルバーナ・マンガーノの「苦い米」、オーソン・ウェルズの「第三の男」などを教えてあげた。
それを彼女は逐一タブレット・パソコンに打ち込んで、ベルリンのDVDショップで借りるつもりだという。
私の古い知識が少しでも若い人のために役だったなら、こんなに嬉しいことはない。

また、彼女は『お茶』のマーケットリサーチをするベンチャー企業で働いている。
ともすれば若者の無気力さが報道される中、彼女のように世界に羽ばたいている人を見ると頼もしい。
彼女とのお喋りにより、私の不安も大分少なくなった気がした。

2017年06月23日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

ブログ事始

フィレンツェ-1

若者もすなるブログといふものを、年寄りもしてみむとて、するなり。

(2017年6月19日 書込み)
5年間のブランクを経て、再びヨーロッパを旅する喜びを噛みしめています。 旅の素晴らしさ、面白さを伝えられたなら,これ以上の喜びはありません。

(2014年8月18日 書込み)
ついに「後期高齢者(75歳)」になりましたが、身体は五十歳代、心は二十歳代のつもりです。
今年も10月にドイツ、オランダ、ベルギー、フランスを旅行する予定です。
請うご期待。

(2011年10月1日 書込み)
明後日(10月3日)から31日間、15回目のヨーロッパ旅行に出かけます。
行き先はチェコ、ハンガリー、オーストリア、ドイツとフランスの五カ国です。
ヨーロッパを東から西へ横断する大遠征になります。

(2010年11月15日 書込み) 
明日(11月16日)から22日間、14回目のヨーロッパ旅行に出かけます。
行き先はイタリア(のみ)です。
5回目のイタリアということで、マニアックな旅(ガイドブックに載っていない、あるいは小さくしか取り上げられていない場所を訪れる)もしてみます。
どんな旅になるか、楽しみにしていて下さい。

(2009年6月24日 書込み)
5日後(6月29日)から32日間、13回目のヨーロッパ旅行に出かけます。
行き先は北欧四ヶ国(ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、デンマークの順)、ドイツ北部およびチェコです。
今年も小型パソコンを持って行き、現地から生の感想を発信します。

(2008年5月27日 書込み)
明日(5月28日)から32日間、12回目のヨーロッパ旅行に出かけます。
アメリカ旅行を合わせれば、15回目の海外旅行になります。

旅行中の出来事や生々しい感想をブログに綴っていきたいと思います。
また、折に触れて、過去の旅行の思い出も付け加えていく積りです。

ヨーロッパに対する私の想い が集大成できれば大成功なのですが....

写真 : 今年で5度目の訪問となるフィレンツェの一風景
ドゥオーモ[花の聖母寺]の屋上展望台からジョットの鐘楼を見下ろす
(2007年6月撮影)

2017年06月19日 プロローグ トラックバック:0 コメント:9

今年(2014年)の旅行は中止

かねてより「10月にドイツ、オランダ、ベルギー、フランスを旅行する」と告知してきました。
ところが旅行計画を幾度作り直しても、実行に至るまでに何かと克服できない障害が生じ、最早10月の終りを迎えてしまいました。
11月に出掛けるという手も有るのですが、陽は短くなるし寒くもなるので、観光旅行としてはあまり快適とは言えません。
ということで、断腸の思いでありますが、今年のヨーロッパ旅行を断念することにしました。
来年初夏の実行を期して、直ぐにでも計画立案に取り掛かる所存です。

私の旅行記を楽しみに待って下さっている皆さん、大変申し訳有りません。
中でも、旅行の予告を見て、わざわざエールのメールを送って下さった方々!
次回は裏切ることが無いようにしますので、どうか今暫くお待ち下さい。


2014年10月30日 プロローグ トラックバック:0 コメント:0

慶事

このブログには直接関係ありませんが、私の母親が本日12月6日をもって99歳(白寿)を迎えました。
8日(日曜日)にささやかな(うたげ)を張ります(ささやかという割りには表現が大袈裟だネェ)。
その準備や何やかやで気ぜわしく、ブログの執筆が滞っています。
今しばらくお待ち下さい。

なお、母親はスコブル付きの元気で、今だに一軒家で独り暮らしを楽しんでいます。
まだ10年は持つと践んでいます。
次の宴は、110歳到達記念で十分でしょう。

2013年12月06日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

小笠原諸島の火山噴火に想う (1)

一ヶ月近く家を空けていて帰宅すると、直ぐにやらねばならないことが山積している。
それらを片付けている間は、残念ながらブログどころではない。

そうこうしている内に燃え尽き症候群に陥り、ブログを書くことさえ億劫になる。
これが一昨年までのパターンで、帰国後のブログはほとんど書けなかった。

しかし、今年は違う。
例年よりは余力があるので、これからも週二回程度は文章を綴っていこうと思う。
時々覗いてみて欲しい。


さて、この文を書いている11月28日現在では既にニュースヴァリューとして色褪せてしまったが、8日前に小笠原諸島の海底火山の噴火により新しい島が誕生した。日本が火山国ということは世界的に有名だが、今回行ったイタリアもまた名にし負う火山国なのである。

イタリアで最も有名な火山は、ナポリ近郊にあり、ポンペイなどの古代ローマ都市をその火山灰で埋め尽くした「ヴェスヴィオ山」である。
私はポンペイには3回(2006年、2007年)行き、有名な遺跡がどこにあるかは頭の中の地図に未だに残っている。
また、エルコラーノ(ナポリとポンペイの中間)には2回行っている。
さらに、ヴェスヴィオ山の頂上(1281m)にも登ってきた(2007年)。
これらの探訪記はいずれ別項にしたためる積もりだ。


ところで、ヴェスヴィオ山は休火山であり、現在は噴火していない。

イタリアの活火山の代表は「エトナ山」で、地中海沿岸では最大規模を誇っている。
シチリア島の南東部に位置し、観光の拠点は「カターニア」である。
2010年にエトナ山の中腹まで行き、大いに満足して帰ってきた。
その一部は、このブログの2010年12月の項に書いている。
次回に、もう少し詳細な観光内容を書くとしよう。


なお、イタリアに火山が多いということは、温泉も多いということになる。
ただし、ヨーロッバでの温泉は、それを飲むか、水着を着けてつかるかのどちらかだ。
日本のようにスッ裸で入ると、猥褻物陳列罪で逮捕されるかもしれないので注意しよう。

2013年11月28日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

緊急速報

11月20日午前9時45分にテレビの緊急速報で、イタリア・サルディニア島のオルビアで豪雨のため河川の堤防が決壊して住宅やホテルが浸水し、集合住宅の地下階に住んでいた家族4人が死亡した、との報道があった。
オルビアは10月29日に訪れたところ。これ以上被害が大きくならないよう祈りたい。

2013年11月20日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

帰国 -- 2013

フィレンツェのホテルを6時半に出て、7時発の空港行きバスに乗る。
フィレンツェ空港は町から近く(20分)、こぢんまりとしているので使いやすい。私が気に入っている空港の一つ。

しかし、フィレンツェから日本までの直行便が有る訳ではない。
ということは、どこかのハブ空港に立ち寄らねば日本に帰れない。
それが前回まではパリのシャルル・ド・ゴール空港だった。
今回はドイツのフランクフルト空港に変わった。

フランクフルト空港は初めての利用。
それどころか、ドイツ旅行歴5回の私だが、フランクフルトへ行ったこともない。
いや、一昨年ロマンティック街道からフランスへ向かう電車が、一旦フランクフルト駅に立ち寄ったのを思い出す。
けど、今年を含めてフランクフルトの町に出たことがない。

フランクフルト空港はべらぼうに大きな空港みたいだ。
隅から隅まで歩いた訳ではないが、パリのシャルル・ド・ゴール空港より大きく、ゆったりとした空間利用をしている感がある。
これは、歴史の差だと思う。
シャルル・ド・ゴール空港は民間大型空港の草分である。全くの更地に建設され、それまでのオルリー空港もいまだに活用されている。
さすがのド・ゴール将軍も、建設当時にこれほどまでに旅客者数・便数が増えるとは予想できなかったのであろう。
その点、フランクフルト空港は元の軍事空港を民間用に転用し、広大な敷地を活かして、この変化に対応しできたようである。

さて、前回までエール・フランス航空を使ってきたのに、今回はルフトハンザ航空に変えた理由は...
今回もエール・フランスを利用すべく準備を進めていた。
いや、それ以外の航空会社は眼中に無かった。
ところが、いざ購入となった時に、昨日の値段表表示より4万円も高くなっている。
いわゆる、早割の期間が過ぎてしまったのである。
さあ、どうする。
エール・フランス航空利用には一つの難点があった。
何年か前から中部国際空港発着から撤退していて、私はわざわざ関空まで行って乗っていたのだ。
もう一つ、去年旅行しなかったので、長年かけて貯めていたマイレージが失効してしまった。
それならというので、唯一中部国際空港からヨーロッパ便を飛ばしているルフトハンザ航空を調べてみた。
すると、エール・フランスの元の値段よりやや安い。
中部国際空港は私の家から1時間半程で行け、近くて安い。
それなら、特にエール・フランス航空に義理がある訳ではないので、変えてみようということになった。

長々と書いてきたが、要は、一つのことに固執していては盲目になる。
多くの選択肢を考慮してこそ、展望が開ける。
人生如何に生きるかも同じことだと思う。
(飛行機会社の選択如きで、人生を論ずるとはネェ?)

11月19日午前11時40分、無事過ぎるというか、物足らないというか、拍子抜けというか、そんな気持ちを抱きながら帰宅した。

2013年11月19日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

ヴィヴァ・イタリア!

今、日本時間で11月18日午前9時、イタリア時間で午前1時。
もう6時間後にフィレンツェ空港行きのバスに乗ります。

今回の旅は、割合平穏だった。
ということは、平凡だったことになる。

もう少し刺激的なハプニングが有っても良かったのではないかな?
しかし、度が過ぎると「死劇的」になってしまうかもしれないので、これで良しとするか。

今回の旅で最も良かったこと。
イタリア語に自信が付いたこと。
旅の前では、むしろスペイン語の方が達者と思っていたが、この順序は完全に逆転した。
フィレンツェでは、レストランに入ってメニューを見た途端、口が勝手に喋り出した。しかも、かなり早口のイタリア語で。
最初の頃はどう発音するのかを考え考え話していたのだが、慣れとは恐ろしいもので、考えなくても喋れる。

次いで良かったこと。
若い日本人男性二人(別々の場所で会った)が私の生き方に共感してくれ、少なからず彼らの人生に影響を与えたこと。
彼らが、私と同じようだけど、違った意味の独創的な旅をしてくれたら嬉しいのだけど。

観光的には、天候に恵まれた。
イタリアは10~11月に雨がよく降る。
しかし、今年は少ないとのことである。
私が雨に祟られたのは、
カリアリ(サルディニア島)の半日
アルベロベッロに行った時
チヴィタ・ディ・バニョレージョへ行くのを諦めた日
だけだと記憶している。

今回で大まかにはイタリアを一通り行き尽くした。
しかし、まだ行ってなくて気になっている所、もう一度行きたい所(特に北部山岳地帯)があり、まだまだ訪れる価値のある国だ。

ヴィヴァ(万歳)イタリア!!
Viva Italia!

2013年11月18日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

チャオ(さらば)イタリア

今回は1年間のブランクがあって、本当に長旅ができるかどうか不安な旅立ちになろうとしていた。

気弱になって、「海外旅行保険」を考えた。
私が持っているのは、クレジットカードに付帯しているものだけである。
これで、事故死亡補償、事故・疾病時の入院費等々がまかなえる。
しかし、疾病死亡は範囲外だ。

そこで、今回は本格的な保険に入るか? と思ってインターネットで調べてみた。
案外安くいけそうなので、契約をしようと手順を進めていった。
そうすると、70歳以上は保険に入れないとのこと。
ウヌッ、私が並みの70歳代と思っているのか?
それに、薬を処方されている者も駄目だって?
きっちりと薬を飲んでいるからこそ、一ヶ月間の旅行に出られるんだ。

ここで吹っ切れた。
もう、旅行保険なんかには頼らん。
逆にファイトが湧いてきた。
保険に入れない人間が立派に旅できることを証明してやろうじゃないの。

保険に入れなかったことを悔やむのではなく、これをバネにやる気を生み出す。これが私のいいところ。
出発時にはもう不安は無かった。


昨日11月15日はオルヴィエートの2日目。

あいにくの雨。
チヴィタ・ディ・バニョレージョへ行く予定だったが、止めた。
ここは、傾斜が急で、幅が狭い橋が地上20m位のところに架かっている。
車は通れず、歩くしか行き方はない。
しかし、雨の日は滑って、歩くのは困難だろう。
雪が積もれば、普通の靴では完全に歩行不可能。
それに、晴れてなければ景色が楽しめない。
私は2009年に行っているので、今日は休養日とした。

いよいよ残すはフィレンツェの2日間となった。

イタリアは良くない部分もあるが、総じて言えば、良い方が多い。
2または3年後にまた来よう。
チャオ(さらば)イタリア。
そして、今度来た時はチャオ(今日は)イタリア。

2013年11月16日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

旅もほとんど終わり

エー~ェッ!!
もう3週間も過ぎたの??  日本を出発してから?
まだ、2~3日しか経ってないよ~、 私の心の中では。
神様(信じてないけど)が、私だけに時間の進み方を速くしたのじゃないの??

でも、持ち物を見ると、確かに時間は経過している。
いつも持って行く「六カ国語会話(日英独仏伊西)」は服のポケットに入れるので、そんなに傷んでいない。
しかし、ショルダーバッグに入れて持ち歩くガイドブックは大分ヨレヨレになってきた。
それに、今回から持ってきたイタリア語の辞書は、厚紙ケースが湿気を帯びて一部がボロボロになった。


まだ、オルヴィエートとフィレンツェが残っているが、今回は比較的穏やかな旅だったと思う。
相性の悪かったローマは、5回目にしてほとんど何事も起こらなかった。
むしろ、ローマから約一時間のティヴォリにある「エステ荘」と「ハドリアヌスの別荘」に好感を抱いた。(報告は帰国後に)


ただ、ローマで一日だけお腹を壊してしまった。
ヨーロッパのどこででも水道水を飲んで平気な(ミネラルウォーターは買わない)私にとっては「鬼の霍乱」と言っていい。
食事の際(それがたとえ、マクドナルドでも)必ず野菜サラダを食べる。
その時、オリーブオイルとアチェットと呼ばれる酢と醤油とスパイスを混ぜたような物をかける。
これは本当に美味しいのだが、連日食べていると酢酸が胃腸に強く作用し過ぎるようだ。
我が「強靱を誇る胃腸」も、ついに降参してしまった。
でも、これ位で済んだのだからどうってことも無いさ。

2013年11月15日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

絵葉書送付の第一段階終了

絵葉書をどっさり買い込み、プリントアウトしてきた宛名を一人一葉に切り離した。これで、第一段階完了。
このブログを読んで下さっている人の中にも、絵葉書が届くかもしれません。

でも、こちらは大変です。
約50人分、一人一人に異なった内容の文を書かねばならないからです。

マア、一昨年は一晩で40通余りを書いた経験がありますので、何とかなると思ってます。

昨日11月11日は、バーリからマテーラとアルベロベッロの二つの観光地に行ってきました。合計12時間行動してました。
アルベロベッロでは時雨れて、寒かった。もう防寒着が必要となってきました。

今日はバーリからローマに移りますが、速い路線を使わずに、一日2往復のローカル列車で長靴(イタリアの地形)の中央部を山越えで横断します。
このようなことが、私の旅の醍醐味です。

いつの旅でもそうですが、後一週間で日本へ帰らなければならないと思うと、実に切ない。
このまま永住するのが私の理想。
現実は厳しい。

2013年11月12日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

ブログが書けません

11月4日、バレルモ(シチリア島)からカターニア(シチリア島)へ移動する時のことである。
バス移動の方が速いのだが、バスの乗場が分からない。
多くのバス会社が運行していて、バス会社毎に独自の乗場があるからだ。

その点、鉄道は駅という動かぬ物があるから見付けやすい。
という訳で、電車移動することとした。

その電車の中で一寸した事件があり、私の旅行スタイルを根本から変える必要があることを悟った。
イヤーフォンを耳に付け、パソコンに夢中になっていては、下手をすると命に関わる事件に巻き込まれる畏れがある。

そこで、以下の三原則を実行するよう、自らを律した。

1.公衆の面前で(特に、列車の中で)コンピュータを使用しない。
2.公衆の面前で(特に、列車の中で)居眠りしない。
3.常にキッとした鋭い目差しで、周りの状況を把握する。
それに、今井美樹はあまり聴かないようにする。少なくとも、眠気を催してきたら聴くのを止める。

今まで、列車の中は格好の執筆場所であり、また日頃の寝不足を解消する場所でもあった。
それが使えないとなると、ブログの執筆速度がガクンと落ちる。

それに、旅も後半に入り、絵葉書を送る時期になった。
私は年賀状を書かないので、旅の途中に絵葉書を送ることにしている。

今年は約50人分の住所をプリントアウトして持ってきているので大変だ。
今後は、ブログより絵葉書の文章作りを優先します。

ブログが益々希薄になることをお許し願いたい。

今日11月9日はサレルノからバーリに移動します。

2013年11月09日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

緊急事態発生!?!?

今回は日付順を変えて、本日11月3日のことを書こう。

パレルモの2日目

今日はパレルモから電車で3時間近く掛けて、セジェスタというギリシャ神殿や劇場のある所へ行ってきた。
ここは辺鄙なところで、日祝日は電車一往復という信じられないダイヤだ。
しかも、途中の乗換駅アルカーモ・ディラマツィオーネからはマイクロバスの運行となる。

それで、行きは順調だった。
ギリシャ劇場は笑ってしまうほど小さかった。
2009年に行ったタオルミーナの劇場に比べ面積が1/10もない。
しかし、神殿の方は立派だった。
同じく2009年に行ったアグリジェントの神殿より大きかったが、天井部分は喪失していた。
建物の色は白く、アグリジェントの赤い神殿より清潔な感がある。
セジェスタのは清楚な乙女、アグリジェントのはむくつけき裸の男という風情か。
(帰国したら写真をupしますので、今は想像しながら読んで下さい。)

呑気なことを書いているけど、緊急事態はどうなったって?
そんなに慌てないで。
書いている私が慌てていないのだから。
本当に緊急事態なら、こんな文章書いていられる訳無いもん。

さて、帰ろうとして駅でマイクロバスを待っていたが、定刻になっても来ない。
私は行きの時から、この運転手は信用がおけないと感じていた。
さあ、どうする。
信用してもう少し待つか?
それとも、2km歩いた遺跡入り口に停まっていたバスに乗るか?

私は後の方を選んだ。
やや上り坂を小走りに遺跡入り口へ行ったけど、バスの姿は無かった。

そこに、遺跡で働いていると思(おぼ)しき3人の男がいた。
イタリア語と英語のチャンポンで、事情を話す。
すると、駅に行けばバスがあると言うから、そのバスが来ないからここに来たんだと言う。
じゃあ、タクシーでパレルモまで帰ればいいと言う。
ソリャ構わないけど、携帯電話を持ってないから呼べない、と言う。
すると、タクシーを呼んでやると言ったので、ちょっと待って。
パレルモまで約100kmも乗ったら、多分私の手持ちの現金全部使っても払えない。
バスに乗り換えたアルカーモ・ディラマツィオーネ迄と言ってくれ。
この時点で私はもう今夜の泊まりはアルカーモになるなと観念していた。

待つこと25分、タクシーが来た。
3人には丁重に礼を言って、乗り込んだ。
今夜の宿はアルカーモだと決めつけていた私は「アルカーモに良いホテルはあるかーも?」と聞いた。
もちろん、この日本語を言った訳ではない。
この意味を持つレッキとしたイタリア語でだ。
答えは、有る、と言うことだった。

ホテルはいつでも探せるので、先ず駅へ行って電車の様子を聞こう。
すると、私が乗ろうとしていた電車が少し遅れてやってきた。

普通、延着があるとブツブツ文句を言っているが、この延着はありがたかった。
もし、私が30秒遅れて到着していたら、また、もし延着が30秒短ければ、私はこの電車に乗れなかっただろう。
というのは、列車に乗り込むには、列車の進行方向前方の線路を渡らねばならなかったからだ。

こうして、予定通りパレルモに午後8時に帰り着いた。

それにしても、あのマイクロバスの運転手の野郎、今度有会ったら百年目(今、流行の言葉では、倍返し)だな。
名前も知らないし、顔も覚えててないけど。
それに比べ、3人の男とタクシーの運ちゃんは、地獄で会った仏だ。
3人は薄汚れた仏だったけど、タクシーの運ちゃんはいい男だった。リノ・バンチュラをもっと優しくしたような。

今回は危ういところで免れたが、こういうことになる予感はしていた。
私の旅はいつも時間との闘い、綱渡りなのだ。

今までに一晩に二つのホテルに支払ったことがある。
2011年。プラハから始まる五カ国西進の旅のこと。
最後はパリに泊まって、日帰りでカルナック(巨石を含むたくさんの石が置いてある古代遺跡)へ出掛けた。
列車内でウォークマンで音楽を聴いていたら眠ってしまった。
気がついたら一駅乗り越して、そこも発車寸前。
飛び降りて、一駅戻る。
ここは辺鄙なところなので、戻る列車はなかなか来ない。
目的の駅から40分ほどバスに乗らねばならないのだが、そのバスもまばらの運行。
すべてが悪い方向に転がり、できるだけパリに近づこうとしたが、レンヌの駅で電車がなくなった。
駅前のホテルに泊まるしかない。
こうして、その夜のパリのホテルはスーツケースを置くだけのために支払う破目になった。
ちなみにレンヌは前に書いたが、モン・サン・ミッシェル行きのバスが出るところ。

居眠りを招いたウォークマンには、語学、クラシックとポピュラーがどっさりと納めてある。
日本のポピュラーは山口百恵、今井美樹、キャンディーズ、Rebecca。
一番多いのは、今井美樹で厳選しても80曲。
ほとんどこればかり聴いている。


こんな馬鹿馬鹿しいことが書けるのは、私の精神が安定しているから。
もし、アルカーモに泊まらなければならなかったなら、怒り心頭、呪いの文を書いていただろうに。

2013年11月03日 ザルツブルク トラックバック:0 コメント:0

サルディニア島には何も無い!!

ジェノヴァ・プリンチペ駅からフェリー乗り場までタクシーで約10分。
初めからこうしておけばよかったのに。
私にとって、ジェノヴという町は私を苦しめるためのみに存在している、としか思えない。

さて、フェリー乗り場で先ずやることは予約票をチケットに取り換えること。
チケットと言ってもA4の紙にプリント・アウトしたものだけど。

フェリーに乗り込む。
午後8時30分発、午前8時到着。
私は二等椅子席。
寝台室は一室2人用と4人用。相部屋という概念は無いらしく、一人でも2人分の料金を取られる。
寝台でも眠りにつけるとは限らないし、私は眠くなればどこででも眠れる。
だから、寝台なんていらない。

乗車率は?と詮索にかかると、どうも1%を切っているんじゃないかな?
要するに、ガラガラ。

ラウンジのふかふかのソファーに座って、コンピューターでブログの原稿を書く。時々居眠り。

船の揺れはまったくと言っていいほど無かった。
11時間半はあっという間に過ぎ、ポルト・トッレスに着く。
泊まりはサッサリなので、移動が必要。
電車だと1時間39分待たねばならない。
バスが有るのではないかとバス停らしき所へ行ったが、時刻表なんてまったく無い。
せめてBarで休憩でもしたいと思ったが、それも無い。

結局、電車しか手は無いようだ。
サッサリ到着、午前10時。
小さな町で、ホテルは直ぐに見つかった。

ホテルのフロントのおねーさん(ちょっと無理がある、やはりおばさん)はレストランのある場所と「歴史地区」を教えてくれた。
この「歴史地区」と言うのが曲者で、大抵どこの町にもあるのだ。
「新しいものに開発され損ねただけ」と言う場合が多い。
もちろん、本当に歴史的価値のある場合も希に有るが...
見極めはかなり難しい。注意しよう。

さて、これからどうしよう。
もし電車より早いバスが有ったなら、オルビアまで行こうと思っていたが、もう無理だ。
とにかく電車の本数が少ないので、よく考えて電車に乗らないとその日の内に帰り着けないこともある。

安全なところで、先ずポルト・トッレス辺りを見物しよう。
ところが、その駅に降り立って驚いた。
駅の傍に駐車場が有るだけで、店の一軒も無い。

そこで、私が先程乗った駅(正確には、ポルト・トッレス・マリナー駅:ポルト・トッレス港駅)まで約1kmを歩く。
ちょっと裏道に入ると屋外にテーブルを並べた軽食屋があった。
もう午後2時を過ぎていたが昼食はまだだったので、その店で食べようと近づいていく。
店員も客も、こいつ間違えてやって来たなと言う目で私を見ている。
そこで私が「こんにちは。一人だよ。どこに座ってもいい?メニューを持ってきて。」と淀みないイタリア語で喋った。
途端に店の空気が変わった。拍子抜けしたようだ。
もっとたどたどしく喋るか、英語で喋っていたら、きゃつらの思う壺だっただろうに。

メニューを見て、ハンバーガーを注文した。
出てきた料理を見てうへっと思った。
直径15cm位のお好み焼きのように平べったい肉の塊が二つと山のようなフライドポテトが大きな皿に盛られている。
食べるとバサパサ。ミンチ肉だけで、つなぎをほとんど使ってないようだ。
味付けは塩味だけ(もちろん、スパイスは混ぜてあるだろうが)。
しかし、これが素朴な味で意外と美味しい。
ハンバーガーと野菜は食べ尽くしたが、フライドポテトは1/3しか食べられなかった。

一般に、ヨーロッパの料理は日本人にとって量が多すぎる。
あれもこれもと注文したら食べ切れない。一品でも辟易とすることもある。特にご婦人方には。
だから、食べ出す前に「何を残すか」を決めることが大切。
特にコース料理では、前の方で食べ過ぎると、肝心のメインディッシュが出てきた時には満腹になっていることがある。

今度は南の方向に行ってみよう。
西のオルビアと南のカリアリ(州都)への分岐点にオツィエリ・キリヴァーニという駅が有る。
ここまでが今日行ける最遠の場所。
駅を出る。10台ほどの駐車場があるだけで、店は無い。
鉄道の分岐点だから、売店の一つくらいが有ってもバチは当たらないと思うんだけど。

帰りの電車を待つ一時間ほど、その辺りをブラつく。
道端にサボテンの実がなっていたり、太い棕櫚の木が植わっていたり、ここは南国ムードなのである。
天気のことは書いてこなかったが、まだ一度も傘をさしたことがない。
気温は高く、歩くと汗が噴き出て、上着まで汗に濡れて臭くなる。
普通の石けんで洗濯してもいい上着は手洗い洗濯している。
上着やズボンは一晩では絶対に乾かない。
一都市二泊以上の最大の意味がここにある。

サッサリのホテルに帰ったのが7時過ぎ。
午後遅く、大量に食べた昼食だったので、夕食は無しで済ませよう。


2013年11月03日 ザルツブルク トラックバック:0 コメント:0

ジェノヴァはもう"いや"

サン・レモを後にして、フェリーに乗るためにジェノヴァへ移動。
2009年には日本からこの地の飛行場に着いた。
しかし、この町は非常に相性が悪かった。

市内には見るべき物は無い。
コロンブスの生家というのがあるが、貧相な家としか表現のしようがない。
おまけに、中を見るには予約をしておかないと駄目。
つまり、管理人は常駐していないのだ。
街並みも何だかしっくり来ない。
何がそうさせているのかよく分からないが、陰気・おどろおどろしいという雰囲気だった。

一方、郊外へ出ると、景色の良いところがある。
ポルトフィーノやサンタ・マルゲリータ・リグレといった海辺の高級別荘地だ。
特にサンタ・マルゲリータ・リグレで食べたスパゲッティ・ヴォンゴーレ(アサリのスパゲッティ)の味は、私の知る限り最高だった。
スパゲッティそのものは生茹でで芯が有ったが、そんなことを打ち消してしまう味付けだった。
スパゲッティは茹で過ぎより、生茹での方が遙かにましだもんね。

ジェノヴァから東の方、ピサに向かって行くと、世界遺産のチンクエ・テッレがある。
五つの土地という意味で、「五箇所村」と言ったところか。
昔は海からしか近づけなかったので、五つの村が各々独自の文化を築きあげていったのだ。
残念ながら、私が行った日は雨、それも吹き降りだったので、あまり良い印象は持っていない。

さて、思い出にふけってばかりいずに、今回の話をしよう。

ジェノヴァの一番大きな駅「プリンチペ駅」に大分早く着いた。
2009年には地下鉄に乗っていなかったので、一度は試してみよう。
で、地下鉄の標識を見付けて歩いて行った。
すると、標識が無くなった。
どこかで通り越したのかしらと思い、引き返した。
もう一度やり直しということで歩き出したが、また標識が途絶える。
これを繰り返し、スーツケースを引っ張りながら格闘すること30分。
ついに、地下鉄駅に到着した。
駅を出て、狭い道路を100m程歩き、道路を渡り、階段を30段ほど下った所に駅は佇んでいた。
利用客はぱらぱらといるだけ。
無人駅。切符の自動販売機は二台とも壊れている。
これで、どうやって乗れと言うのだ。

プリンチペというのは英語のPrincipalつまり「主要」という意味だ。
でも、こんな有様では、この駅の名を「不要」駅に変えてもらいたいと切に願うのである。

サア時間を喰った。船に乗ろう。バスは?
サンドイッチを買ってやって、サンドイッチ屋のお兄さんに聞いたら、20番のバスに乗れと言う。
その通り乗った。バスの前方左手に私の船の煙突部分が見えている。
バスは二駅過ぎたところで右の道を走り出した。
これでは船から遠ざかっていくばかりだ。乗客に聞こうとしたが、英語を話せる奴がおらん。
しびれを切らしてバスから降りた。
そこにちょっと賢そうな若い女の子がいたので、英語が話せるかと聞いた。
少し話せるとのことで、いきさつを話した。
すると向こうの交差点を渡ったところでバスを待てばいいとのことだった。
地獄に仏、いや女神。
ところが、交差点の向こうにバス停らしきものが無い。
ふと見ると電車の駅が有る。次の駅が「不要」駅...ではなく「主要」駅だった。
ようやくプリンチペ駅に戻り、時間が切迫しているのでタクシーに乗る。

サン・レモで歩いて疲れ、さらにジェノヴァで無駄に歩き回って、もうホウホウの体(てい)。
もうジェノヴァへは当分行きたくない。

2013年11月02日 イタリア トラックバック:0 コメント:0

サン・レモにて

さて、時は流れて(と言うほど時間は経ってないが)、サン・レモの駅に着いた。
音楽祭で有名な町だ。
駅は地下にあり、町への出口まで延々200m以上の地下道が続いている。
動く歩道の数は、一方向だけで6基ある。
運悪く私が向かう方向の歩道は止まっていた。

やっと明るい出口に着いた。
タクシーだけがいて、バス停は無い。

仕方ない。
ガイドブックを見ると、カステッロ広場からの眺望が一番良いと書いてある。
タクシーに乗り込む。
九十九折りの道だが、すぐに着いた。
これで15ユーロとはぼられているが、喧嘩している場合ではない。
時間の方が大切。

確かにここからはリヴィエラ海岸とサン・レモの街が見渡せてきれいだ。
もうこれで十分堪能と歩いて帰ることにした。
エッ、タクシーを呼ばなくても大丈夫なのかって?

私の頭の中にはビデオテープがあって、タクシー内からの景色がしっかり撮り溜めてある。
帰りは逆再生しながら進めばいいのだから、いとも簡単に歩いて帰り着ける。
徒歩1時間以内と読んだ時には、どこの町でも大抵歩く。
もちろん、初めての町であっても。

方向音痴の人には魔法のように思えるかもしれないが、これが私の現実だ(「才能だ」と書かないところが奥床しいネ)。


このやり方を織り交ぜて一番効率よく旅した例を書いておこう。

フランス・ロワール川流域の城へ行くバスは冬には極端に少ない。
しかし、できるだけ多く回りたい。

1993年12月、息子とパリへ行った時のことである。
ロワールの城廻りには、高速電車で行くのが最も都合が良いのだが、満席だった。
仕方がないので、朝5時半発の普通電車でパリを出発し、アンボワーズ駅に降り立った。
ここで誰よりも速く駅を出てタクシーを拾い、先ずシュノンソー城に向かう。
途中でアンボワーズ城の横を通っているのが確認できた。
シュノンソー城を見物する間、タクシーを待たせておく。
タクシーは次のアンボワーズ城まで乗って帰らせる。
アンボワーズ城からアンボワーズ駅までは歩く。
途中でピエトン(Pieton)という標識を見つけると、歩行者専用道路だから近道できる。

今度はアンボワーズ駅からブロワ駅まで列車移動する。
ブロワ駅からシャンボール城まではバスに乗る。
シャンボール城からブロワ城まではタクシー移動。
ブロワ城からブロワ駅までは、目星をつけた方向に歩いたら、一発でたどり着いた。

こういう風に、その時に運行している数少ない公共交通機関とタクシーそれに「勘」を働かせれば、パリから一日で四つの城を見て回れる(他の人に真似ができるだろうか?)。

別の日、モン・サン・ミッシェルへ行った。
パリからレンヌまで鉄道で行き、そこからバスでたどり着くというのが一般的らしい。
しかし、その頃バスの切符が簡単に取れるかどうか私には分からなかった。
そこで、レンヌから北へ行き、モン・サン・ミッシェルに近いドールという駅で降りた。
ここもさっさと表に出て、ただ一台待っていたタクシーに乗ってモン・サン・ミッシェルへ行った。
帰りはより近い駅「ポントルソン」からドール、レンヌを通ってすべて鉄道でパリに着いた。

このように、如何にうまく行程を作るかは、「一般旅行取扱主任者」の免状をもつ私の手腕の見せ所だ。
この免状があれば、旅行会社を創ることもできるんだヨ。

また、初めての場所でも、一度通れば簡単に帰りつける。
これは、私には「犬と伝書鳩」の本能が兼ね宿っているからだ、と吹聴している。

2013年11月01日 イタリア トラックバック:0 コメント:1

時刻が変わる日

ミラノの3日目

えらい損をした。
今日は割合早い電車でジェノヴァを通り越してサン・レモまで行き、フェリーに乗るためにジェノヴァに引き返すことになっている。
昨日スカラ座の席で時刻表を見ていたら、8時過ぎの電車に乗らなきゃならないことが分かった。
そこで、6時に目覚まし時計をセットして寝た。

ホテルの食堂は7時から始まるので下へ降りていったら、受付のお兄さんが「今6時だ」と言う。
一瞬、意味が分からなかったが、思い出した。
今日は10月の最終日曜日なので、夏時間から標準時間に切り替わるのだ。
それは手帳に記入してあるのだが、ろくに見てないので忘れていた。

それに輪を掛けて、電車の時刻は9時台だった。
暗い座席で見ていたので、9を8と見間違えていたのだ。

と言う次第で、寝る時間が2時間短くなってしまった。
いつも寝るのは3時頃だから、今日の睡眠時間は3時間だった。
久しぶりに5時間寝られるはずだったのに。

予定通り9時過ぎの電車に乗る。
初め曇っていたが、リヴィエラ海岸に近ずくにつれて晴れてきた。
天気も味方に付けた。今日は暑くなりそう。


時刻が変わる日で思い出すのは1974年のことだ。

生まれて初めての海外旅行でパリに降り立ち、ローマから帰国というスケジュールだった。
スイスのブリークからミラノ行きに乗った。
奇しくもストレーザを通る路線だ。

ミラノに着いて、1時間20分の乗換時間があるので、悠々と両替をしていた。
すると車掌がローマに行くなら早く乗れと言う。
何故そんなに急がすんだと不服だったが乗り込んだ。
すると直ぐに発車した。

今では切り替え日を西ヨーロッパでは統一していると思うが、その頃は違った。
スイスでは切り替えられず、イタリアでは切り替えられていた。
だから、乗換時間は20分しか無かったのだ。
初めてのヨーロッパ旅行ということで、知識がまったく無くて冷や汗をかいた。

直前のブログで、ミラノは今回が4回目の訪問となっているが、通り過ぎたのを含めると5回目となってしまう(こんな計算は有り?)。
ミラノとはよくよく縁があるということ。


1991年にスペインなどを旅行していた時のこと。
マドリードから古都トレドへのバスツアーを申し込んでおいた。
その当日は少し寝坊をして、出発前30分にツアーデスクに息せき切ってすべり込んだ。
ところが、まだ早過ぎると言う。
やはり、切り替え日だったのだ。

夏時間(サマータイムは日本の造語、Summer Saving Time)という規則に慣れていない我々は、つい忘れがちになるのはやむを得ない。
でも、日本にもかつて夏時間があったのだよ。
戦後間もない頃、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で何年か実施された。
しかし、我が国の風習にそぐわないとして、廃止された。
私の年代以上の人しか覚えていない苦々しい(?)過去である。

2013年10月31日 ミラノ トラックバック:0 コメント:0

ドゥオーモ、スカラ座、ダヴィンチ・・ミラノ礼賛

ミラノの2日目(2)

マッジョーレ湖....ではなかった、ルガーノ湖からミラノ中央駅に戻ったのが夕方の4時頃。
ホテルの部屋に重い荷物を置き、ついでにトイレもしっかり済ませる。
ホテルが駅に近いと、次の行き先に応じた支度ができるから便利。

向かったのはドゥオーモ(大聖堂)。
ヨーロッパ中で最も好きな大聖堂。
ちなみに2位はスペイン・セビージャのドゥオーモ。中が蝋燭の煤で真っ黒。これが幻想的。
3位はフランス・ストラスブールのドゥオーモ。登っていくと外がよく見える作りになっていて、楽しい。
4位はドイツ・ケルンの大聖堂。ものすごく大きくて荘厳。

後で述べるように、もう何回も中央駅のホテルからドゥオーモまで行っているが、地下鉄4駅分を往復とも徒歩ばかり。
今回初めて地下鉄に乗ってみた。
楽は楽だけど、町が見えない。

私の「ミラノのドゥオーモ」詣での歴史
2004年 1回 外から眺めただけ
2006年 5回 (1日の内で早朝、午前、夕方、夜の4回を含む) 内部に入り(無料)、屋上を歩く(有料)。
2008年 2回  外から眺めただけ 1回, 内部に入る 1回
2013年 1回  内部に入る

このドゥオーモの魅力は、その色彩にある。「白亜の殿堂」とはこのドゥオーモのために有るのではないかと思う。
外観は真っ白。それを維持するのに随分お金がかかっているのだろうな、と余計な心配をする。
さらには100本以上の尖塔が空を突き刺す。壮観である。
中に入ると、直径2m位の柱が屋根を支えている。これも壮観。
このドゥオーモについては、このブログの2008年7月にも書いているので、参照下さい。


実は、地下鉄のドゥオーモ駅を降りで、真っ先に向かったのがスカラ座の切符売り場。
今日の演し物は?と見ると「ドン・カルロ」だった。
前日だと「アイーダ」だったのに、惜しい。

2008年7月にはラ・トラヴィアータ(椿姫)を観て大感激した。
「ドン・カルロ」はあまり馴染みがないが、ともかく観ることにしよう。
アリーナ席だと4万円。
椿姫だったらその値段払おうと決心してきたが、「ドン・カルロ」ではねぇ。
アリーナ席でなければ、この時間帯では最上階(日本で言う7階席)しか残ってなかった。
ただ、立ち見ではなく、椅子有りの指定席なので「天井桟敷」とは言わないと思うんだが...

オペラの内容は、
第一幕、第二幕は退屈。
第三幕から少し面白くなってきた。
第四幕、第五幕はまあまあだったけど、言葉が分からない悲しさで、フィナーレの本当の意味がピンと来なかった。

やはり、「ドン・カルロ」はイタリア語(それも、日本では江戸時代の頃のイタリア語)が分からないととても無理だ。

ここで、2008年と2013年(今年)のスカラ座情報を比較しておこう。

2008年
演し物・・ラ・トラヴィアータ(椿姫)
(日本で言う)5階席 購入時刻・・当日の12時(チケット売り場に並んで) 約6000円(160円/ユーロの頃)
アリーナ席なら約30000円

2013年(今年)
演し物・・「ドン・カルロ」 スペインが舞台のお話
(日本で言う)7階席 購入時刻・・当日の18時(チケット売り場に飛び込みで) 約4000円(130円/ユーロ)
アリーナ席なら約40000円

なお、このブログの2008年7月の項に椿姫観劇記があります。


ミラノの魅力はドゥオーモとスカラ座だけではない。
イタリアで近代都市と言えるのは、唯一ミラノだけだと思う。
住宅地が郊外に広がっていき、若い人が多くて活気がある。
他の都市には無いエネルギーを感じることができる。

他方、古い物にも見るべき物がある。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院の食堂の壁画だ(『の』が多すぎるが...)。
有名なレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」。

2008年7月。この絵を15分間見るために、半年近く前に申し込んで、ようやく実現した。
その顛末は、このブログの「その頃」の項に書いてあるので見て頂きたい。


良きにつけ、悪しきにつけ、私はミラノが大好きなのである(私にとって、悪しきは余りないのたが)。

2013年10月31日 ミラノ トラックバック:0 コメント:0

湖は湖でも、予定とは違う!

ミラノの2日目(1)

イタリアに限らず、ヨーロッパの国で公衆電話を見付けるのはかなり難しくなった。
ソリャそうだろう。
携帯電話なんて持っていないヨという人を探し出すのが困難な時代だ。
投資した設備費を回収できるほどには人々は公衆電話を使わない。

さて、私は連絡したいことがあって中央駅の構内をウロウロと公衆電話を探していた。
くまなく探した積もりだが、見付からなかった。
後で分かったことだが、駅のすぐ表側にあった。
さらにショッキングなのは、タバッキー[何でも屋?]でテレフォンカードを売っていないようだ。
公衆電話を使うには、コインをドッサリ貯めるしか手は無いのか?

(追記) サッサリ(サルディニア島の町)のタバッキーで、その店最後の一枚のテレカを手に入れた。

そうこうしている内に、マッジョーレ湖へ行く「ジュネーヴ」行きの電車を逃してしまった。
サアどうしょうと考えながら、駅の出発掲示板を見ていたら、チューリッヒ行きの電車がすぐに出る。
マッジョーレ湖はイタリア-スイス間にまたがる湖だ、
チューリッヒ行きに乗れば何とかなりそうだと飛び乗った。

検札が来た。
ストレーザ(マッジョーレ湖観光の中心の町)で降りるといったら、この列車はそこへは行かないという。
冷静に考えれば、ストレーザはミラノの北北西にある。
従って、当然ジュネーヴ行きに乗らねばならない。
チューリッヒ行きは北北東方向に進み、コモ(イタリア北部の湖沼地帯で日本人には最も知られている湖がある)を通り、スイスに入る。

サテ、どうする?
私のコンパートメントにはイタリア人のおばさんが座っていて、一部始終を聞いていた。
車掌がいなくなると、おばさんは私のことを心配して話し掛けてくれた。
ストレーザへ行くにはミラノへ戻るか、スイスに入ってバスを探すかだね、と言う。
おばさん、ちょっと待って。
私はストレーザに行かなくても、「既に行っているコモ湖」以外のきれいな湖ならどこへ行ってもいいんだけど。
そう説明しても、私が今日ストレーザに行かねばならないと頭から決めつけているおばさんは、ストレーザへの行き方の話ばかりする。
5~6回説明したらようやく分かってくれた。
それで、私が前から行きたいと思っていて、おばさんも薦めた「ルガーノ湖」に行くことにした。

この路線でイタリアの最北端駅は「キアッソ」だが、そこでは湖は見えない。
一駅乗り越すとスイスの駅「ルガーノ」に到着する。
おばさんもそこで降りて、町の概要を少し説明してくれた。

駅前から歴史地区までケーブルカーが通っていた。160円で乗車時間1分弱。
ここはスイス・フランだけで無く、ユーロも使える。
私は何年か前にスイスへ行った時に余らせた10スイスフラン(1100円位)紙幣を持っていたので、ユーロを使わずに済んだ。

湖を一通り見て回ったっところ、ちゃちな電車の駅を見付けた。
私はこんな時、躊躇無く電車に乗る。
どこへ行くかは知らないけど、行きだけで帰りの無い電車なんてこの世に無いのだから。
電車は湖から離れたり近づいたりしながらほぼ南に進む。
終点は湖の畔だけど車がやたらと多く、渋滞している。
よく見るとたくさんのゲートがある。
高速道路の料金所である訳が無い。歩行者の私が同じレベルにいるのだから。
ようやく分かった。ここはスイスとイタリアの国境なのだ。
鉄道で移動しているとこんな風景は見ることができないので面白かった。

ということで、今日はマッジョーレ湖ではなくルガーノ湖を見たというお話。
お陰で、イタリア人のおばさんと30分以上英語で喋れた。一期一会だネ。


2013年10月29日 ミラノ トラックバック:0 コメント:0

ミラノのリゾット

ミラノの初日

空港からミラノ市内行きのバスは金曜日の夕方のせいか、普段50分のところが1時間20分かかった。
ホテルは中央駅のすぐ傍。

夕飯は中央駅のまん前のレストラン。
2006年、2008年にもまったく同じ店でミラノ名物「サフラン入りのリゾット」を注文。
今回初めておいしいと実感。

2006年
サフラン入りのリゾットを注文したつもりだったが、何を間違ったのか、出てきたのは「ホワイト・クリーム」ベースのリゾット。
牛肉がちらほら入っていて非常に美味しかったが、これがサフラン入りのリゾットとはどうしても思えなかった。

2008年
同じく、サフラン入りのリゾットを注文した。
今度は黄色いリゾットが出てきた。
間違いなくサフラン入りだ。
しかし、食べてみると米粒に卵黄をからめた「出来損ないの卵チャーハン」のような感じがして、とても美味しいとは言えなかった。

今回
出てきたのは、やはり、黄色いの。
食べたら独特の味がして、香りも非常に良い。
やはり名物と呼ばれるだけの価値はある。

またミラノに行ったら、絶対にこれを食べる。

しかし、前二回は何だったのだろう。

2006年は注文間違い(私が悪いのか?、それとも店の方か?)でまともに「サフラン入り」が食べられなかった。
実のところ、私は「ホワイト・クリーム」の方がより美味しいと思うのだが、それが何という料理か知る由も無い。

2008年はどうしたのだろう。
よほど体調が悪くて、味覚・嗅覚がバカになつていた?
多分そうだと思う。
この時はイタリア旅行の最後にミラノを訪れ、ミラノからフランスの高速列車(TGV)でパリへ8時間掛けて行き着いた。
11月も終わりの頃で、パリに着いたころから咳が出だした。
フランスの「食の都」べりグーのレストランに入った時、あまりの咳のひどさに、店の人に大丈夫かと聞かれる程だった。

つまり、どんなに美味しい名物料理でも、食べる側の体調が良くなければ、味わうことができないっていうコト。
同じことが観光見物にも言える。
雨の日の風景はくすんで見える。
私の旅行で、同じ町に2泊以上するのは、その内の一日が雨でないことを期待しているからである。




2013年10月28日 ミラノ トラックバック:0 コメント:0

日本脱出 - 2013

日本時間の10月28日18時現在、私は快調に旅している。
もうサルディニア島に着いた。

今年はハプニングや重要なでき事が多発して、書くべきことがかなり多い。
私の行動力が益々激しくなってきたのと語学力に磨きが掛かってきたからであろう。

という訳で、皆さんには先ず極く荒ましだけを知って頂こう。
私のメモを兼ねた文章で。

10月25日
中部国際空港出発。
初めてルフト・ハンザ航空(ドイツの会社)を利用。
今まではエール・フランス一辺倒だったのに。
訳はいずれ又。

乗り心地はまずまず。
食事も予想より良い。
ただ、ドイツ人のキャビン・アテンダント(CA)はぶっきらぼう。
ドイツ語で話しかけても一言・二言帰ってくるだけ。
日本人のCAは可も無く不可も無し。

フランクフルトでの乗り継ぎはスムーズ。
陽のある内にミラノ空港に到着。

2013年10月28日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:1

2011年の三大事件・・その3

パリ空港でストに巻き込まれ、危うくパスポートを失いかけたお話。
未完

2013年10月22日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

2011年の三大事件・・その2

ブダペストで偽警官に遭遇した話。
未完

2013年10月22日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

余談・・私の「絶対方向感」がもたらしたものは?

前のブログで、「私には絶対方向感があり、一度行ったところへは地図無しでたどり着ける。」と書いた。
しかし、「3年前のことだ。ただ記憶が残っていただけなんだろう。」と言う人があるかもしれない。
確かにその通りである。

けれども、これを聞いてもらえれば、「私の絶対方向感を確信して戴ける」取って置きの話がある。

オランダのアムステルダムのお話である。

その観光名所の一つに、「アンネ・フランクの家」がある。
私が初めてそこを訪れたのは、1974年、今から37年前のことだ。
2度目に行ったのは2004年のことで、その間30年隔たっている。

その二回目の訪問の際に「家」の前に立った時、風景が前に見たのと少し違うことに気がついた。

右斜め前方に大きな教会の屋根が見える。
正面から教会に向かって臨む角度が前より少し大きくなっている。
家の中に入っても、何となく前と微妙に違う。

そこで、係の人に「30年に来た時と様子が違うと思うんだけど、何か変わっていることはないのか?」と尋ねた。
すると「この家は本物の家の一軒隣である。アンネが住んでいた家は観光客の出入りで痛んできて保存が困難になり、教会から離れた側の隣の家を公開している。」との返事であった。

それから7年経っているが、おそらく本物はもう公開されることはないと思う。
それを確かめに2~3年後にオランダを訪れたいと思っている。

ともあれ、恒久的だか一時的だかは不明だけど、少なくとも2004年の頃は「お隣さん」が公開されていたのだ。
私が調べた限りでは、ガイドブックにもインターネットの書き込みにも、この事に触れたものはない。
ネガティブな事柄を誰も公にしない(それ以前に、この事実を知らない)からであろう。
すなわち、これを知っているのはオランダ政府の文化庁・観光局の職員と近所に住む極く一部の人しかいないことになる。
日本人では、私一人かもしれない!!

逆に言えば、嗅覚がするど過ぎて知らねばよかったことを知ってしまい、夢を壊してるのかも?!

2011年11月18日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

2011年の旅行の三大事件・・その1

今年の旅行でも、ご他分に洩れず、様々なハプニングに遭遇した。
その中でも、皆さんは滅多に体験しないであろう「ホトンド私だけの出来事」について書いてみよう。

まず第一の大事件は「持って行ったパソコンが旅の初めに壊れてしまったこと」である。

親しい人へ送った絵葉書に「パソコンが使えないことを除いては、旅は順調です。」と書いた。
しかし、これは本音ではない。
パソコンが使えないことは、私にとって「旅の楽しみを半減する」程の大きな痛手なのである。

ともかく、ブログが書けない。
さらに、交通・気象などのリアル・タイムの貴重な情報が得られない。
さらにさらに、ウオークマンの充電ができない。

この不便を解消するために、日本語が使えるコンピュータを置いているインターネット・カフェを探す。
そんなものが見付かるはずがないと思いつつ、奇跡が起こることを一縷の望みにして街をさまよい歩くことになる。
こうして、イライラしながら時間と体力を無駄に消耗してしまう。
予定していた観光がこなせない。
ストレスが溜まること、この上なしである。


結局、プラハでもブダペストでも、日本語が使えるコンピュータには巡り会えなかった。
ようやく私の条件に合うコンピュータに出会ったのが、旅行開始6日目のウィーンのインターネット・カフェ。
このカフェは、3年前に使ったことがある。
その時コンピュータを持っていたが、ホテルに無線LANが無かったので、やむを得ずそこでブログを書いた。

今回は無線LAN完備のホテルを予約していたので、まさかここを使うとは予想だにしていなかった。
ウィーンは3回目で、かつ2泊しかしない予定だったので、カイドブックは持ってきていなかった。
ということは、店の名前も、所在地も全く分からない状況だった。
では、どうしてこのカフェにたどり着けたのか?

ここから、私の真骨頂を発揮する。

私は、例えそれが何十年前であろうとも、自分で探しながら歩いた道はくっきりと思い出すことができる。
まるでVTR、いや今ではDVDかな(?)、を再生するが如くに。

私の本能は「先ず地下鉄に乗って『カルルス・プラッツ』まで行け。そしてリング(ウィーン旧市街の環状道路。トラムも走っている。)の内側に入れ。そこから東に2筋歩き、左折して北へ3筋歩け。赤っぽい建物で行き止まっているから、そこを左折しろ。カフェは左手にある。」と言っている。

その通りに歩いてみた。
東に一筋歩いたところで左を見たら、見覚えのある風景が広がっていた。
ここの一筋は「普通の一筋」よりも遙かに長いので、2筋と勘違いしていたようだ。
あとは本能の命ずるままに歩き、一発でカフェが見付かった。

私は、常々、「私には、犬と伝書鳩との本能が兼ね備わっている。」と豪語している。
地図とコンパス(方位磁石)が有れば、世界中のどこへでも行ける。
一度行ったところなら、何もなくても目的地にたどり着ける。
頭の中の映像記憶機能は、下手なコンピュータを上回っている。
これが「どこへ行っても物怖じしない」原動力の一つなのだ。

初めての土地でタクシーに乗って、帰りは歩くことなどはヘッチャラである。
37年前に歩いた「スイス・グリンデルヴァルトの山道」の道筋もはっきりと憶えている。
私はこのことを「絶対方向感」と言うのだと信じている。


ということで、ウィーンのインターネット・カフェには無事たどり着いた。

後は、チェコ人の友達のコンピュータを借りたり、ローテンブルクのカフェで和文字を打ち込めないコンピュータを使って、ローマ字でこのブログを書いたりもした。

パリでは、たまたまガイドブックで見付けた「日本人専用のインターネット・カフェ」を5回使った。

そういう訳で、今回の旅行では「インターネット・カフェ代」が高くついたヨ。

2011年11月13日 旅のパーツ トラックバック:0 コメント:0

パリ空港で重大トラブル発生するも、帰宅。

こんなに大きなトラブルが旅の最後に待っているとは、想像もしていなかった。

パリのシャルル・ドゴール空港に着いた。
早速チェックインしようとしたら、できない。

聞けば、私は「ウエイティング・リスト」に入っていて、今日乗れるかどうか分からないと言う。
そこからドタバタ劇が始まり、私は死ぬような目に合うことになる。
と言うのは大袈裟だが、一時は帰国が2週間位遅れることを覚悟したこともあった。
詳細はいずれ書くとして、これは完全に「スト(フランス語ではグレヴ)」の所為なのである。

こんなこともあったが、隣に座ったのがフランス人男性(パリ近郊在住)で、日本は初めてと言う。
いろんな話をし、フランス語の実力がグッと増した。

京都へ行くというので、大阪駅まで一緒に行ってやった。
JRの切符を買い、ホーム番号と電車の行き先「野洲」を教えて分かれた。

メールも住所も交換したので、今度パリへ行ったら連絡しよう。

という訳で、国際親善に一役買って、私の旅は終わった。

2011年11月03日 フランス トラックバック:0 コメント:0

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